巣立ちの春、卒業式。
そこには未来に出立する心の軽やかさがあります。でも、ちょっと油断してると、どこからか気まずい気配が染み出る不思議な時間も訪れます。その重い沈黙を追い払うために、きみたちは思いのたけを込めて、「うた」を歌う、はずでした。
今年の春は、三年ぶりにマスクをはずせる卒業式となりました。
でも、歌えたのは校歌と「君が代」だけ。卒業ソングを歌うことは、今年もかなわなかったようです。
で、とりあえず、号泣!
実のところ、わたし的には、「君が代」の詞も楽曲も、嫌いじゃありません。
詞は短く、字余り一の三十二文字。そのくせ、永遠の愛から、ばばじじの長寿、さらにはやんごとなきお方へのリスペクトまで、その間口は広い。
でも、どんよりしたメロディラインは、8世紀に起源を持つローマ教会の典礼音楽=グレゴリオ聖歌がオリジナル。だからその「うた」は、修練を積んだ修道僧や少年聖歌隊がカバーすると心に染みるんだろうけど、僕たち、近代的野蛮人の放歌斉唱に委ねていては、陰々滅々、全部、ぶち壊しになるのです。一人一人がみんな違うように、一つ一つのうたにもそれぞれに居場所があるんです。
校歌なんてだいたいがつまらんもんと決まっているし、「国歌斉唱」は、引きちぎられてゆく「うた」の心が痛々しくて、祝祭の時は流れを止めます。
というわけで、僕には何にもできなかったので、きみたちが歌うことのかなわなかった「うた」の一節を口ずさむことにします。
サヨナラは悲しい言葉じゃない
それぞれの夢へと僕らを繋ぐ YELL
ともに過ごした日々を胸に抱いて
飛び立つよ 独りで 未来(つぎ)の 空へ
(いきものがかり「YELL」)
今後ともお引き立てのほど、よろしくお願いいたします。
井上塾 井上浴